2000年1月。 シベリアから流れ込む高気圧が日本列島を覆い、 乾いた雪が街を白く染め上げている。 空の彼方から射し込む陽射しは、 光と熱を帯びて大気を貫き、白銀の世界を七色に照らす。 街を行き交う人々は、吹き抜ける冷たい風に背中をまるめ、 処女雪を踏み鳴らしながら歩いてゆく。 男は、そんないつもと変わらぬ冬の情景を、なんの感慨もなく見おろしていた。 白い湯気が立ち昇る紅茶をすすり、静かにため息を吐き出す。 机に向き直り、視線を落とすと、 無造作に並べられたA4判の紙にシャーペンを走らせる。 静かに、しかし苛烈に。 覇気と野望をたたえた瞳は、あふれるだす活力にきらめいている。 机の端に積み上げられたファイルは、 王座を見据える彼の手垢によって汚されている。 企画の立案から3ヶ月。 男は、持てる力を全て注ぎ込む覚悟で、覇業の完成に取り組んでいた。 無機質な高周波が、彼を包んでいた重い静寂を破った。 不快な電子音が、鼓膜を激しく揺らす。 思考の大海原から意識を現実に引き戻すと、 男は壁に掛けられた内線に歩み寄る。 受話器を介して聴こえてきたのは、若い女性の軽やかな声だった。 「ネクストンのYET氏が面会を求めておられますが」 よく知った男の名を告げられ、麻枝は唇を軽く噛んだ。 かつての上司の姿が、忌々しい記憶をともなって脳裏に蘇る。 タクティクスを飛び出して、もう一年以上の時が流れていた。 しかし、彼と共有したと喜びは、 いまも色あせることなく、思い出の一角を占めている。 麻枝は、いくらか思案したのち、感情を押し殺しながら言葉を吐き出した。 「すぐに行く。ロビーで待たせておけ」 紺色のソファに腰を下ろしながら、YETは静かに旧友を待っていた。 緑の葉を生い茂らせる観葉植物を見つめる彼の瞳には、 形容しがたい感情の波が揺れている。 もっともそれは、限りなく平坦に近く、 さざなみとさえ呼べるものではなかったのだが。 大理石を踏み鳴らす足音が徐々に近づき、YETの背後でとまった。 振り向いた先には、部下であり友であった男の姿があった。 「久しぶりだな、麻枝」 YETはゆったりとした動作で立ち上がると、 薄い笑みを浮かべながら麻枝に向き直る。 一年半ぶりの対峙。 無機質な視線が交錯し、瞳に互いの姿が映し出される。 永遠とも思える時を経て、 タクティクスの名を業界に知らしめた二人は、ここに再会を果たした。 麻枝が、乾いた空気を乾いた声帯で震わした。 「今さらなんの用だ」 「べつにお前が恋しくて会いに来たわけじゃない。 それよりも、遅ればせながら、まずはおめでとうと言っておこうか」 「なんのことだ」 「決まってるだろ、KANONのことだ。 落ち目とはいえ、あのリーフを脅かすほどの売上らしいじゃないか」 「俺たちの実力なら当然のことだ」 「まあ、俺もそんな予感はしてたんだ。 ONEを完成させた時、 こいつらならリーフの牙城を崩せるんじゃないかって」 麻枝は、苛立ちを込めた視線でかつての上司を睨みつけた。 「そんな話を聞くために貴重な時間をさいたんじゃない。用件はなんだ」 YETは軽くおどけてみせると、せきばらいをし、本題を切り出した。 「わざわざおまえに会いに来たのは他でもない。社長の言付けを伝えるためだ」 「社長? ネクストンのか?」 「そうだ」 思いもよらぬ展開に麻枝は目を細めたが、それはすぐに見開かれた。 「社長は和解を望んでいる。ネクストンに戻る気はないか?」 まさしく、突然のことだった。 社長との確執からネクストンを飛び出し、 ビジュアルアーツの傘下に収まった麻枝。 二度と戻らない覚悟で新天地に移り、 ネクストンへの復帰など考えたことさえなかった。 「おまえも知ってるだろう、麻枝。 社長がwebサイトでおまえたちの移籍を愚痴ったことを。 社長は本当に後悔している。それは、社長のそばにいた俺がよく知っている。 どうだ、話し合うだけでもいい、会ってみる気はないか」 多少の困惑を覚えたものの、それは一考に値するものではなかった。 「なにを言ってる。俺たちはあいつと復縁する気なんてありはしない。 それに新作も動き出してる。戻れるはずがない。 そんなことはおまえだって分かるだろう」 「確かに。だが俺は、社長とは正反対の意見なんだ」 「どういうことだ」 麻枝の瞳に、鋭い光がひらめいた。 「正直に言うと、俺は、おまえたちの実力を過大評価していたようだ。 KANONの製作が発表された当時から予感はあったが、 実際にプレイしてみて、それは現実のものとなった」 苛烈な視線が、頬をこわばらせる麻枝に向けらた。 「残念だよ。おまえたちには失望した」 「……なにが言いたい」 「分からないならはっきり言ってやろう。おまえたちはしょせん一発屋だ。 名声を失うことを恐れ、守りに入ったおまえたちは、 KANONというONEのデッドコピーを作ってしまった。 そんな連中がトップを取れると、本気で信じてるのか? だったら、とんだ茶番だ。 挑戦をやめてしまえばどうなるか、リーフの現状を見れば分かるだろう。 人は精気を失い、腐敗が始まる。 俺はタクティクスを再建し、新たな道を切り開こうとしている。 新生タクティクスは無限の可能性を秘めている。 今はまだ原石にすぎないが、磨けば必ずダイアに化ける。 そんなフロンティアに、腐ったミカンを迎えるわけにはいかない。 おまえたちはいずれ、 ビジュアルアーツという巨木を根から腐らせてしまうだろう。 そうなってからでは手遅れなのだ」 独白を聞き終えた麻枝の表情は、 怒りと憎しみに歪み、瞳には暗い炎が揺らめいていた。 弾け飛びそうになる理性を必死になだめながら、罵倒を浴びせ返す。 「ふん、負け惜しみか。みっともないな。 俺もおまえを過大評価していたようだな。そんな小さな野郎だったとはな。 そんなに俺たちを失ったのが悔しいか? おまえはさっき、KANONをプレイしたと言ったな。 それなら、イソップの童話を知ってるだろう。すっぱいブドウの話だ。 おまえは強がるキツネに過ぎない。 俺たちこそ、タクティクスを離脱して正解だった」 罵倒を浴びせて憎しみがいくらか晴れたのか、 麻枝は余裕を取り戻し、頬を緩めた。 YETが、哀れみを込めた瞳で麻枝を見据える。 「……俺はおまえたちのことを思って言ってるんだ。 いい加減に夢から覚めたらどうだ」 「夢だと? おまえこそ、俺たちを失った悪夢から覚めたらどうだ」 「自分の気持ちに正直になってみろ。怖いんだろう。 挑戦の代償として名声を失うことが。言ってただろう。 いつかはRPGを作ってみたいと。その心意気はどこへ消えた?」 ……幼き日の麻枝は夢を抱いていた。 彼は毎夜、薄いノートにRPGのアイディアを書きつづり、 いつかは自分の手で、 壮大な世界観と緻密なシステムで練り上げられたRPGを作るという夢に想いをはせていた。 いつからだろう。 夢と向き合う勇気を捨て、希望に胸を膨らませることを忘れたのは。 いつだっただろう。 それが大人になることなんだって、自分に言い聞かせたのは。 夢に胸を弾ませた日々が、脳裏に鮮やかに蘇り、 言い知れぬ焦燥感がこみ上げてくる。 けれど、後戻りは出来ない。 俺は決めたんだ。 この道で覇王の座を手にすると。 うつむく麻枝を見つめながら、YETが最後の忠告を送る。 「鍵っ子と決別しろ。今ならまだ間にあう。 『泣き』と『萌え』に頼る限り、進歩はありえない。 そしてそれが、おまえたちの限界になる。 待っているのは栄光じゃない。敗北と退廃だ」 垂れていた頭をゆっくりと起こすと、 妖しい光を瞳にたたえながら、麻枝が口元を軽く歪めた。 「上等だ。俺たちに限界など無い。次回作でそのことを証明してやる。 『泣き』と『萌え』でこの業界を制覇してやる。この俺に二言は無い。 必ず成功し、吠え面をかかせてやる。その時を楽しみにしてるんだな、YET」 麻枝は吐き捨てると、射抜くような鋭い視線でYETを睨みつける。 それはまさしく、怒りで書き殴られた挑戦状が叩きつけられた瞬間であった。 二月の下旬、ついにkeyの新作が発表された。 ――Air。 それが、麻枝のプライドをかけた新作のタイトルだった。次を読む
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