降り積もった雪に身体を沈める高橋たちを、 下川は満足げに見下ろしていた。 リーフの専務は、あるシナリオを脳裏に描き出している。 精神病院から脱走した宇陀児が、 長い旅路の果てに高橋と青紫を襲い、自らも倒れる。 吹きつける雪に体温を奪われ、純白のベールに包まれながら、 誰にも知られることなく、3人は息を引き取る。 高橋と宇陀児は手元に残しておきたかったが、この際はやむをえまい。 リーフに必要なのは、従順な飼い犬であって、自我をもった狼ではない。 頭と肩に積った粉雪を払うと、下川は薄く笑い、公園をあとにした。 残された高橋たちを覆う、真紅と純白のコントラストをなす雪は、 返り血を浴びた白装束を想わせる。 鮮血は白銀の世界にまぶしく映え、 新雪は人々のため息を溶かし込むほど深い。 吹きぬける風は、命の灯火を吹き消す死神の息吹さながらに冷たい。 白く染め上げられた無音の世界に、冥界への門が開かれつつあった。 しかし高橋は、残された気力と体力をしぼり出すように、 両足を震わせながら立ち上がった。 焦点の定まらない視線を辺りに泳がせる。 下川の歪んだ笑顔は見あたらない。 すぐに死ぬだろうと考え、姿を消したのだろう。 宇陀児もうつ伏せになったままで、起き上がる気配はない。 高橋はそばに倒れる青紫を認め、 片膝をつくと、抱き起こし、頬を平手で打つ。 「青紫、しっかりしろ」 懸命に叫び、冥府の門をくぐろうとしてる友の痛覚と聴覚に訴える。 皮膚は互いに凍りついており、 頬を打つたびに、結晶化した雪が悲鳴をあげる。 青紫が、赤味を失った唇を震わせながら、かすかにまぶたを開いた。 「やっと気がついたか、早く起きろ」 高橋の吐いた安堵のため息は、白く流れ、雪原を滑る氷河を思わせた。 上半身をゆっくりと起こした青紫に、高橋が手を差し伸べる。 「さあ、帰ろう。帰るといっても、もうリーフには戻れないがな」 青紫は答えず、無言でうつむいた。 「どうした、早くしないと、本当に凍え死ぬぞ」 青紫は、暗い光をたたえた瞳で戦友を見上げると、 すぐに視線を落とし、呟く。 「高橋さん、僕、もうこの業界でやっていく自信がありません」 「盗作のことか、それだったら、おまえが気に病むことじゃない。 あれは確かに盗作で、それを見抜けなかった俺にも責任はある。 だが、著作権の侵害は親告罪なんだ。権利者が訴えなければ問題はないんだ」 柔らかい視線で、高橋は自分の手を取るよう促す。 「俺と一緒にやり直そう、俺はおまえの本気を知っている。 痕を製作していた当時、アクアは倒産寸前だった。 一刻も早くマスターアップしなければならなかった。 そんな中で、お前はアクアのことを考え、誘惑に負けてしまった。 ただそれだけのことだ」 熱のこもった説得は続く。 「じつはだな、これは下川も知らないことなんだが、 俺と水無月は独立を考えてる。時期は、来年の夏をめどにしてる。 どうだ、お前も参加しないか? きっと楽しいぞ。 口うるさい下川もいない、気の触れた宇陀児もいない。 存分に実力を発揮できるはずだ」 精気を失った瞳に、涙の粒が浮かび上がった。 「高橋さん、どうして僕がリーフに入社したか、知ってますか?」 「どうしたんだ、急に」 こぶしを握り締めた青紫は、凍りついた頬を紅潮させながら、 胸のうちに秘めた思いを吐き出し始めた。 「僕が高橋さんのことを知ったのは、雫をプレイしてからです。衝撃を受けました。 とにかくエロければ売れたあの当時、端麗な文章と緻密な構成力は、 まさしく新たな時代の幕開けを告げるものでした。 そんな高橋さんに憧れ、僕はリーフに入社したんです」 青紫の独白は止まらない。 「そして痕で、僕は高橋さんからおまけシナリオを任せれました。 入社したばかりの僕に、おまけとはいえ任せてくれるなんて、 本当に嬉しかったです。ぜひとも期待に応えなくちゃって思い、一生懸命頑張りました。 だけど、一向に納得のいくシナリオは出来ませんでした。 締め切りも近づき、どうしようかと焦りだしました」 視界に踊る粉雪の密度が増した。 「できれば知りたくなかった。だけど、僕は知ってしまったんです。 締め切り直前の夜、パソコン通信のフォーラムで、 雫のパクリが暴露されていたことを……」 雫のライターが、ゆっくりとまぶたを下ろした。 「ショックだった。憧れの高橋さんが大槻ケンヂをパクっていたなんて。 それも、一部を流用したんじゃなくて、肝心なところを丸まる……」 あふれた涙は、熱湯の滝となって積った雪を溶かしてゆく。 「僕だって開発者のはしくれだ。成功して有名になりたい。 みんなに誉めて欲しい。だけど、肝心のシナリオは全くうまくいかない。 パソコン通信のフォーラムを見終わると、星新一のショートシナリオ集が目に留まった。 悪魔に誘われるように、ぱらぱらとページをめくると、 ちょうどよさそうな短編が目に止まった。 まるごとパクったって、エロゲーオタクには分かりっこない、そう考えた」 青紫が叫ぶ。 「高橋さんはパクリで有名になった。僕だって、有名になりたかったんだ!」 積年の想いを吐き出し終えた青紫は、生れ落ちたばかりの乳児のように泣き出した。 高橋は絶句し、悲しみに打ち震える青年を凝視する。 こぼれ落ちる涙をぬぐいながら、青紫は声を絞り出す。 「だけど、それは違った。 ライターとしてのプライドを捨ててまで有名になるなんて、絶対に間違ってる。 僕は2ちゃんねるで煽られて、初めてそのことに気付いたんだ。 僕はもう、過去を振り返らずに生きることは出来ない。だから……」 凄惨な心情の吐露は、明らかに高橋への非難を含んでいた。 しかし、暗に非難された当人は、反論するどころか、 青紫から視線を静かにそらし、うつむく。 そして視線を戻すと、寒さを忘れて震える青紫の前に片膝をついた。 「すまない、お前がそんなに辛い思いをしていたなんて、少しも気付かなかった。 今さら言っても仕方のないことだが、頼るあてもなく伊丹に出てきたお前に、 もう少し気を配ってやれれば……本当にすまない」 天を覆う灰色の雲が、いっそう厚みを増した。 風に揺られながら舞い降りる処女雪が、二人を隔てていた溝を埋めてゆく。 雲の切れ目から、一筋の月明かりが射し込んだ。 純白の妖精が、光と風のワルツを奏で、 白銀の世界を包む穏やかな歌声が、凍りついたわだかまりを溶かしてゆく。 視線を合わせ、無言で立ち上がろうとする高橋と青紫を戦慄させたのは、 白銀の世界を黒く塗りつぶさんばかりに暗い、狂気に満ちた響きだった。 「くだらない……本当にくだらない喜劇だ……」 乾いた血を舐めとりながら、宇陀児が静かに立ち上がった。次を読む
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