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■胎動編■〜leaf vs key リレー仮想戦記 ■胎動編■

 高度一万メートルの上空。 
 見下ろせば、日本アルプスの峰が、 
 白い雲を突き抜けてその端麗な顔をのぞかせている。 
 地上と同じ気圧が保たれた機内では、窓際の席に、下川ら3人が座していた。 
 不眠不休で調査にあたってきた下川と高橋は、 
 少しでも休息を取りたいところなのだが、 
 ところかまわず現れる宇陀児の性癖が、2人の睡眠欲をそいでいる。 
 ざわめきと交錯する視線。 
 フライト・アテンダントや他の乗客の蔑視の視線を独占しているのは、 
 宇陀児が愛撫する森川由綺の1/8フィギュアである。 
 宇陀児は、瞳をうるませながら呟く。 
「ユキ……オネガイダ……オレヲミステナイデクレ……」 
 涙腺からあふれた涙が、滝となって降り注がれる。 
「オレハオマエガイナイトダメナンダ……ヒトリニシナイデクレ……」 
 粘性に富んだ鼻水と唾液が、あごを伝ってしたたり落ちる。 
「ナニガイケナカッタンダ……オシエテクレ……」 
 宇陀児は小さな奇声を発し、前方の座席の背もたれに額を打ち始めた。 
 彼の意識の中では、等身大の森川由綺が宇陀児を拒んでいるのだろう。 
 瞳を濁らせる宇陀児の脳裏に、別の女性の姿が浮かび上がった。 

「ソウダ……リナ……ユキヲセットクシテクレ……オマエナラデキル……」 
 震える手をカバンに伸ばし、緒方理奈のフィギュアを取り出す。 
「イッショウノオネガイダ……タノム……」 
 左手に森川由綺を、右手に緒方理奈を乗せながら泣きわめく宇陀児を、 
 下川と高橋はため息まじりに見つめている。 
 完璧な人間などこの世にはいないのだなと、高橋は改めて考え込む。 
 特定の分野に天賦とも言える才能をもつ者は、 
 他の部分、特に性癖に異常が見られる傾向がある。 
 民族統一を成し遂げた偉大な皇帝、 
 斬新な手法と奇怪な表現で輝かしい業績を残した画家、 
 品のない言葉を連呼する作曲家……。 
 どうやら、精神病院に隔離されていた宇陀児も例外ではないらしい。 
 もっとも、それが妄想の範疇にとどまっている限りは構わないのだが。 
 機内アナウンスが流れ、シートベルトの着用を促すランプが点灯した。 
 フライト・アテンダントが、通路を歩きながらシートベルト着用の有無を見てまわる。 
 機体が傾き、身体に加わる重力が微妙に変化した。 
 午後3時58分。 
 下川たちは、青紫がいるであろう岩手の地を踏んだ。 

 午後5時07分。 
 降りしきる雪のなか、青紫はあてもなく歩き続けていた。 
 苦悩を母に打ち明けるつもりで帰郷した青紫だが、 
 その思いは叶わず、彼は今、絶望という名の崖に立たされている。 
 頭に積もった粉雪を振り払うこともなく、 
 ただふらふらとさまようその姿は、夢遊病者の徘徊を連想させる。 
 人とすれ違うたびに向けられる好奇の視線。 
 侮蔑の意に満ちたささやき。 
 しかし、薄弱した青紫の意識野でそれをとらえることは困難であった。 
 とらえたとしても、意に介さなかったであろう。 
 青紫の視界の隅に、見覚えのある公園が映し出された。 
 悪友と、親に黙って秘密基地を作ったり、 
 泣きじゃくりながら喧嘩を繰り返した、思い出の公園。 
 彼らは今、どこで何をしているのだろう。 
 不器用ながらも真面目に仕事をこなし、 
 一人前の社会人として認められつつあるのだろう。 
 そして家庭を築き、ささやかな幸福を楽しんでいるに違いない。 
 吐き出した息は白く、白銀の世界に溶け込んでゆく。 
 青紫は凍える脚にムチを打ち、公園の敷地に歩を進める。 
 色とりどりの建造物は雪に埋もれ、 
 記憶の底に沈んだ情景と重ねることは出来ない。 
 ブランコに歩み寄ると、積った雪を払い、横木に腰を下ろした。 
 長すぎる脚で大地を蹴り、鎖を前後に揺らす。 
 鼓膜を打つ無機質な金属音は、聴覚に残響する音声と共鳴し、 
 セピア色の日々を回想させる。 
 天を仰ぐと、幾重もの灰色の雲が、重厚な量感をもって視界に飛び込んでくる。 
 今夜は吹雪になりそうだ。 
 手足の指先や頬は凍りつき、感覚を失い始めた。 

「このまま死ねたら……」 
 その言葉が意味するところを悟り、青紫はかぶりを振る。 
 しかし、いくら負の思考を振り払おうとも、 
 帰る場所が無いという事実までは否定できない。 
 生き延びて、その先に何があるというのだろう。 
 もしかしたら、何も無いのかもしれない。 
 ……不意に、意識が薄らいだ。 
 気温は零下であるのに、身体の芯はなぜか温かい。 
 眠りの神であるヒュノプスが、甘くささやきかける。 
 まぶたが重い。 
 あごも満足に動かせない。 
 視界に、薄暗い幕が下ろされた。 
「俺は、死ぬのか……?」 
 不吉な予感――限りなく確信に近い予感が、 
 弱々しい炎となって意識野を焼き尽くそうとしている。 
 全身から力が抜け、前のめりに倒れようとした瞬間、 
 暴風が、意識野を占める炎を吹き消した。 
「青紫!」 
 懐かしい怒号が、風前の灯火であった青紫を覚醒させた。 

 声の音源に向き直ると、一台のタクシーと、 
 そこから飛び出してくる人の影が見えた。 
「青紫、探しだぞ」 
 白い息を弾ませながら、下川と高橋が駆け寄ってきた。 
 突然の出来事に、青紫は、目をまるくして二人の姿を凝視する。 
「こんなところでなにやってるんだ、凍え死ぬぞ」 
 下川は怒鳴り散らしながら、厚手のジャンパーを青紫の肩にかけた。 
「二人とも、どうして?」 
「決まってるだろ、おまえを連れ戻しに来たんだ」 
 青紫の素朴な問いに、高橋が明確に答えた。 
 意外だった。 
 足を引っ張ってばかりの自分のもとへ、遠路はるばるやって来るとは。 
 下川と高橋の暖かい一面を見た青紫は、 
 二人に対する評価を少しだけ修正した。 
 ゆったりとした間隔で聴こえてくる足音に、青紫は眉をしかめる。 
 もう一人いる。 
 下川と高橋の合間から顔をのぞかせると、 
 狂人と変質者の汚名を着せられた男が、 
 口元の両端を吊り上げながらこちらを見つめていた。 
「ミツケタゾ……アオムラサキ……」
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