東京発盛岡行き、やまびこ112号。 日本列島を南北に貫く東北新幹線。 一通の書置きを残してリーフを飛び出した青紫は、 四角い窓の向こうに広がる風景に想いをはせていた。 晴れ上がった空の青と、降り積もった雪の白が、 鮮やかなコントラストをなして視界に飛び込んでくる。 いつか見た、記憶の底に眠る情景。 無邪気に雪路を駆け回り、天を覆う分厚い雲を仰ぐ少年の姿。 コタツで身体を丸めながらミカンを頬張り、 くだらないテレビ番組を眺める家族の笑顔。 もう何年も会っていない。 「頑張ってね、くじけちゃダメよ」 不意に、大切な人の言葉が脳裏によみがえる。 暖かく、慈愛に満ちた声が、涙腺を刺激し、涙がこぼれそうになる。 抱きしめて欲しい。 なぐさめて欲しい。 何度そう思ったことか。 しかし、自戒が足かせとなり、彼の脚を故郷から遠のけてきた。 錦を着て帰ってくると誓ったあの日。 涙と笑顔の入り混じった表情が忘れられない。 車内アナウンスが、まもなく終点に到着する旨を伝える。 雪化粧をした盛岡の街並みは、5年前と変わらぬ姿で青紫を迎えた。 青紫は駅の構内でタクシーに乗り込むと、 岩手の外れに位置する街の名前を告げた。 久しぶりにつむぎ出されたその言葉は、青紫に言い知れぬ懐古の念を呼び起こす。 とうとうここまで来てしまった。 理由を話したら、さぞかし落胆することだろう。 自慢の息子が、卑劣な行為に対する弾劾から逃れるために帰って来たのだから。 一時間ほど走ったところで、周囲の風景から、無機質なビルの群像が消え、 地平線の彼方まで広がる白銀の田畑がとって代わった。 行き違う車の数は極端に減り、辺りは寂しさを増すばかりだ。 どこまでも青かった空が、厚く広い灰色の雲に覆われた。 純白の粒子が、ゆらゆらと舞い降りる。 多彩な幾何学模様を描く結晶を脳裏に浮かべながら、 青紫は天使の乱舞を見つめた。 愚劣な逃亡者である自分と対比せずにはいられない。 処女雪のまぶしい白が、暗い情念がよどむ瞳の網膜に焼きく。 後部座席に腰を掛けていた青紫の身体が、前のめりになった。 目的地に到着したのだ。 夏目漱石の肖像が描かれた紙幣を六枚渡し、 青紫は、アスファルトに降り積もった雪を踏みしめた。 眼前に広がるのは、青紫が愛情を注がれながら育まれた、彼の生家である。 針葉樹の門構えと、2メートル半はあろうかという、敷地をぐるりと囲う塀。 木枯しが吹きつけるその門の奥には、 青紫が会うことを渇望してやまなかった人がいる。 旅立ちの日。 青紫は胸を張りながら、母に誓った。 「かあちゃん、俺、成功するまでは絶対に帰らない。 十年かかっても、二十年かかっても、必ず成功してみせる。 だから、かあちゃんも、その時まで待っててくれ」 母は、無言のまま青紫を抱きしめ、息子の決意に応えた。 しかし今、その誓いは、五年も経たずして破られようとしている。 荒波に揉まれ、心身とも衰弱の極みにある青年は、 唇を震わせながら呼び鈴に手を伸ばす。 人差し指の先がボタンに触れる直前、懐かしい声が塀越しに聴こえ、 薄れていた青紫の意識を覚醒させた。 「それでね、息子が言ったの。俺は成功するまで帰らないって。 涙が出そうだったけど、なんとかこらえて抱きしめたの。 つらいけど、親が笑顔で送り出さなきゃ、心配で仕事なんて手につかないでしょ。 息子は今ごろ、必死にかんばってるはずよ。 そしていつか、満面の笑みで戻ってきてくれるわ」 涙腺のバルブが決壊した。 蓄積されていた涙が、熱い雫となってあふれ出し、頬を伝う。 足下の雪が熱で溶け、舞い落ちる粒子に埋められてゆく。 「かあちゃん、俺、疲れたよ……」 青紫は独語すると、きびすを返し、あてもなく歩き出した。次を読む
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