1999年12月。 年の瀬を迎え、人々は来るべき新たな年に想いをはせていた。 それはリーフとて例外ではなく、策謀をめぐらせていた下川も、 今月ばかりは忘年会の準備に余念がなく、いつになく胸を弾ませている。 しかし、彼は知らない。 地殻変動にも似た衝撃が、まもなくエロゲー業界を揺るがすことを。 始まりは、リーフに届けられた一通のメールだった。 内容は、痕の盗作を糾弾し、web上での謝罪を求めるもので、 同じようなメールは過去に何度かあった。 その都度、下川は黙殺を支持し、告発を受け、 紙面で取り上げようとした、良識のある出版社にも圧力を掛け、 盗作の事実を闇に葬ってきた。 1999年末に届けられたそのメールも、やはり黙殺され、 web管理者のため息と仕事をひとつだけ増やしたに過ぎない。 しかしその後も、前例を破るように、 盗作を糾弾するメールは次々と届けられ、 衰えるどころか、日に日にその数を増してゆく。 一般のサイトにも、リーフを非難し、真相の解明を求める声が上がり始めた。 波紋はとどめなく広がり、信者の集会場である公式掲示板にも盗作の文字が踊る。 震源は、容易に特定できた。 匿名掲示板として悪名を轟かす2ちゃんねるである。 98版が発売された当時と違い、今はインターネット全盛期である。 くすぶっていた残り火は、 至尊の冠を戴くリーフを焼き尽くさんばかりに燃え上がったのだ! 「どうする、下川?」 執務室のデスクでほお杖をつく下川の顔を覗き込むように、高橋が問いただした。 ここまで騒ぎが大きくなったからには、黙殺では済まされない。 それゆえに、消火の方法を誤れば、 リーフの存亡に関わる大火となるかもしれないのだ。 閉じていたまぶたをゆっくり開くと、下川は豊かな黒い髪をかきあげ、 やや覇気を欠く瞳で床を見つめながら呟く。 「仕方ない、徹底抗戦だ」 下川は青紫を呼びつけると、 ひとつのアイディアを授け、自分のケツは自分で拭くよう命じた。 同時刻、東天満のビルの一角では、ほくそ笑む男女の姿があった。 「今ごろリーフは大慌てだ。いい気味だな」 指先を唇に当てながら薄く笑ったのは麻枝である。 彼の右手には、一冊の小説が収められている。 「しかも、謝罪するどころか、シカトを決め込んでやがる。 自分の評判が落ちるだけなのにな」 星新一のショートシナリオ集をめくりながら、麻枝は吹きだしそうになるのをこらえている。 いたると久弥も、下川の慌てふためく姿を想像し、苦笑する。 パソコンのモニターと向き合いながら、折戸が同僚をたたえる。 「それにしても、絶妙のタイミングだ。麻枝の戦術眼には恐れ入る。 コミパがこけた上に、同人からの撤退を宣言し、 リーフの評判が落ちてきたところで今回の盗作騒動。完璧じゃないか」 麻枝は、当然だと言わんばかりに口元を緩める。 下川や高橋は知るよしもないが、 2ちゃんねるで盗作騒動を起こしたのは、他ならぬ麻枝である。 テレホタイムを見計らい、リーフに反感を抱く厨房をけしかけたのだ。 デジフェス以来、常にリーフに遅れをとってきたkeyが、 初めて先手を打つことに成功した瞬間であった。 2ちゃんねるに目を光らせていた折戸が、顔をしかめる。 信者と思われるドキュンが、リーフを擁護し始めたのだ。 「確かに盗作だ。だけど、著作権の侵害は親告罪だ。 著作権者が訴えない限りは問題ない。外野が文句を言うのはおかしい」 折戸は向き直り、麻枝と視線を交錯させる。 「どうする? こんな馬鹿がいるが、放っておくわけにもいくまい」 信者というのは、常に自分に都合の良い部分を拡大解釈する傾向がある。 作者が訴えなければ問題なし、などと言わせておけば、それを信じ込む恐れがある。 麻枝は視線を斜め上に向け、なにやら思案を巡らせ始めた。 数秒後、視線を水平に戻し、瞳に光をひらめかせる。 「そうだな、よし、イシカワ」 麻枝の指先には、一人の青年の姿があった。 名をイシカワタカシと言い、 ライターとしての実力を認められ、keyに加わった男である。 「なんですか?」 先輩に名指しされ、イシカワが恐る恐る問いただした。 「なあに、簡単なことだ。俺の言う通りにやればいい」 盗作が発覚してから7度目のテレホタイムを迎えた2ちゃんねる。 盗作ネタは衰えることを知らず、原爆を思わせる熱とエネルギーを収斂させている。 善良な2ちゃんねらーを今夜も辟易させているのは、キチガイ信者の妄言である。 「確かに盗作だ。だけど、著作権の侵害は親告罪だ。 著作権者が訴えない限りは問題ない。外野が文句を言うのはおかしい」 壊れたテープレコーダのように、また呪文のように繰り返されるその言葉は、 尋常ならざるものを感じさせ、住人を恐怖に陥れている。 ネタや煽りだとしても、猿のようにコピペを繰り返すその姿勢は、 やはり嫌悪と恐怖の対象でしかない。 そんなキチガイ信者に強烈な一撃が加えられたのは、 テレホタイムに入ってから2時間ほど経ってからのことである。 「僕にはIPが見えます。ここでリーフを擁護してるのはリーフの社員です」 キチガイ信者はひるまなかった。表向きには。 「ハァ? IP馬鹿氏ね!」 内心で動揺しながら、キチガイ信者――を装っていた社員は、懸命に煽り返した。 IPなんて見えるはずがない、ハッタリだ。 自分にそう言い聞かせながら、高鳴る心臓の鼓動を抑えるように、胸に手を当てた。 過剰ともいえる反応ぶりに、煽った男は確信した。 こいつは間違いなくリーフの社員だ、と。 煽った男の名はイシカワタカシ。 麻枝の特命を受け、盗作騒動に参戦したのだ。 「盗作リーフ最低!」 「高橋は責任とって辞任しろ!」 「リーフが訴えられてるらしい」 自作自演を交えながら、イシカワはリーフの社員を煽る。 それに対する社員の反応も素早い。 「盗作って言う奴は全員アンチ!」 イシカワは一呼吸おいたが、弾劾の手を緩めようとはしない。 「青紫氏ね!」 その一言に、社員は特に敏感に反応した。 「青紫は悪くない! これはパロディだ!」 猛烈な反撃を見せる社員は、まいた種は自分で刈り取るよう命じられた青紫であった。 糾弾の雨に打たれながらも、 なんとか自分の名誉――本人はあると信じている――を回復しようと、 不眠不休で消火活動にあたっているのだ。 「いい加減にしないと名誉毀損で訴えられるぞ!」 「盗人猛々しいとはこのことだ。社員氏ね!」 イシカワと青紫の煽りの応酬は熾烈を極めた。 コピペが乱舞し、罵倒の嵐が吹き荒れる。 レスは秒刻みの速さで、頭に上る血は分刻みで沸騰する。 白目が充血し、キーボードを打つ指が震える。 吹きだされた肺活量いっぱいの鼻息は白く、ディスプレイを曇らせる。 汗はにじみ出た瞬間に気化し、体温を一瞬だけ下げる。 午前7時55分。 数時間にわたる熱戦は、テレホタイムの終了と共に幕を閉じようとしている。 カキコした本人も予想しえなかったことではあるが、 イシカワの捨て台詞が、青紫の心を激しく切り刻んだ。 「青紫にライターとしてのプライドはあるのか!?」 ……プライド? その言葉が意味するところと、その言葉に込めた想いが、青紫の胸を締め付けた。 プライド。 最後に口にしたのは、はたしていつのことだったか。 淡い思い出と、それに付随する感傷が、青紫の心の空白を埋めてゆく。 「プライド……」 午前9時半。 出勤したばかりの下川は、あわただしく行き交う社員の姿に目を細めた。 高橋が息を弾ませながら、おぼつかない足取りで専務の側に駆け寄ってくる。 「どうした、何があったんだ」 「あの馬鹿がこんなものを……」 肩で息をしながら高橋が手渡しのは、一通の書置きだった。 「しばらく旅に出ます。探さないで下さい」 複雑に絡み合う心情を込めた手紙の署名は、青紫のものだった……。次を読む
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