
「…もう一度書けばいいことではないですか。 あなたも気弱になることはありませんよ。 大丈夫。いざという時には私がそちらに向かいます」 アーベル社長室でイシカワからの報告を受けた、 菅野の目は笑っていなかった。 イシカワのシナリオは、菅野がかなりの部分で手を加えていた。 ある意味、自分の作品と言ってもいいほどに。 それが、例のウイルス騒ぎで消えてしまったのだ。 「バックアップを取っていなかった、私もよくないのですから」 これは嘘だ。バックアップは菅野の手元にある。 だが、これを出すのはまだ時期尚早だし、 何よりもイシカワが納得しないだろう。 シナリオのメーンは、やはりイシカワなのだから。 『やります。自分の手でもう一度完成させます。 これ以上…菅野さんの手をわずらわせたくありませんから』 イシカワの声には疲れがあった。だが、菅野はそれに触れなかった。 「あなたの力を、私は信じていますから」 菅野はそれだけ言うと、静かに受話器を置いた。 「人の作品に、キズをつけるのは納得いきませんね」 菅野の柔和な表情の中には、静かな怒りの炎があった。 自分の作品にキズをつける者は許さない。それが菅野のポリシーだ。 そのポリシーゆえ、彼はこれまでに2つの会社を袖にしてきたのだから。 「こんなことを考えつくのは…彼以外にありませんね。 原田も、何故止めなかったのですか」 静かに菅野の怒りの炎が燃え上がった時、社長室の電話が鳴った。 「はい、こちら社長室」 『社長にお電話です』 「どなたですか?」 『大阪の高橋様、とか言われましたが…』 「高橋…ですか?」 菅野の大阪の知人で『高橋』は1人ではない。 だが、ここに電話を掛けてくる大阪の『高橋』には、 1人しか心当たりがなかった。 菅野がウイルス騒ぎの首謀者と確信している、あの男だ。 「つないでください」 菅野は、ただ一言そう言った 『高橋です。ごぶさたしています』 「限度というものを、あなたは知らないようですね」 『限度? 何のことですか』 高橋の声色に不安が走る。 「keyのウイルス騒ぎのことです」 『!!』 「あなたが立てた策でしょう、高橋?」 『…そうです』 高橋の声には力がなかった。 「あのシナリオは、私が手を加えた…いや、 私の作品といってもよいほどのもの。 私が自分の作品にどんな思いを持っているか…あなたはご存知でしょう」 『…許してくれと…言うつもりはありません』 あの強情な高橋が、自分の悪事をあっさりと認めた。 菅野にとって、これは意外なことだった。 「…やけに素直ですね」 『自分の悪事には、せめて責任を取ろうと思いまして』 「あなたは嘘が下手ですから、どんな嘘をついても私には判りますが …今回は違うようですね」 『…はい』 「自分では何もできないから、彼らを助けてほしい。 …そう言うつもりだったのでしょう?」 『まるで…心の中を…見透かされているような』 「あなたが言うまでもなく、私は動いています。 それを反故にしたのは…あなたなのですよ」 『…すみません』 高橋は、そう言うのがやっとだった。 「あなたに協力する気はありませんが、邪魔をするつもりもありません。 あなたが彼らに直接、どんな援助をするのか…。 事と次第によっては、今回の件は許すつもりです」 『…俺に…何が…できますか?』 「イシカワは今回が初めてのシナリオ。麻枝はもちろん、 今では表面的にはかかわっていないはずの久弥も、彼を助けています。 ですが、それでも…。秋にすら間に合うのか…」 『…どういう事です? それにあなたは必ずバックアップを…』 「確かにあります。しかし、それはまだ時期が早すぎるのです。 それに、所詮は私のバックアップ。イシカワの段階でまた変化があるでしょう。 今回のメーンは、あくまでも彼なのですから」 『私は…何を…』 「今彼らがやっているのは、 ウイルスに吹き飛ばされたCGとシナリオの補完です。 そして…今足りないのはシナリオの方なのです」 『…考えておきます』 高橋は静かにそう言った。 『ところで、D.O.の佐藤社長はお元気でしょうか?』 「彼は私の友人ですが…彼に何か?」 『今度、アクアプラスは池袋主導でケチなイベントをやります』 「例の同人誌即売会というやつですね」 『…あなたは何でも知っていますね』 「それがどうかしたのですか」 『佐藤社長の下には、加奈っ子と呼ばれる、熱心なファンがおられるとか。 keyの鍵っ子のように』 「熱心…物は言いようですね」 菅野の表情に笑いが戻った。 『彼らを動かしてほしいのです。イベントのために』 「何としても成功させたいとは。所詮はあなたも…」 『逆です。失敗させたいのです』 菅野の表情が変わった。心なしか、鋭さが加わったようだ。 「詳しく、話を聞かせていただけませんか」 東西2人の策士の密談が始まった。次を読む
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