順調とは言えないものの、折戸は確実に快方に向かっていた。 「面会謝絶」の札が下げられた病室のベッドで、 意識を取り戻した折戸は、首をかしげながら小さな包みを見つめていた。 目が覚めたとき、「弟さんからのお見舞いの品だよ」と、医師に手渡されたものだ。 折戸に弟はいない。 間違いではないかと何度か問いただしたが、 確かに折戸に宛てられたものだという。 誰が何の目的で存在しない弟をかたり、この包みを医師に託したのか。 いくら思案しようとも、中身を確かめない限りは推測の域を出ない。 恐る恐る梱包をとくと、折戸の目の前に現れたのは、 500枚パックのCD−Rとアクアプラス名義の領収書、それに一通の手紙である。 脳裏に、よく見知った男の顔がひらめいた。 慌てて手に取った手紙は、彼の直感を裏付けるものだった。 「中上……」 短い文章を読み終えた折戸は、誰に聞かせるでもなく呟いた。 「ありがとう」 危険をかえりみない友に、折戸は胸を熱くし、感謝の言葉を漏らした。 その手紙が彼の形見になることを、この時、折戸は知るよしもなかった……。 退院した折戸は、東天満のビルの一室にkeyの面々を集めた。 「みんな、これを見て欲しい」 そう言って折戸がカバンから取り出したのは、 積み重ねられた白銀の円盤と領収書である。 「これは?」 当然の疑問を口にしたのは久弥だった。 軽くせき払いをした折戸は、 その場に集まった全員に視線を順に送ると、神妙な面持ちで説明を始めた。 白銀の円盤はKANONを焼いたCD−Rであること、 領収書は焼いた際に発行されたアクアプラス名義のものであること、 そしてこれを持ち出して来てくれたのは中上であること。 にわかには信じがたい様子らしく、一同は無言で互いの顔を見やる。 直後、麻枝が沈黙を破った。 「これなら確実にリーフを追い込める。だがその前に、本物かどうか確かめないとな」 折戸がうなずいた。 KANONが焼かれているというのは、 中上の手紙に書かれていただけで、折戸自信もまだ確かめていなかった。 積み重ねられたCD−Rを一枚だけ抜き取り、ログインを済ませた端末に挿入する。 ……次の瞬間、折戸たちの表情が凍りついた。 色鮮やかなモザイクがディスプレイいっぱいに広がり、HDDがけたたましく鳴り始めたのだ。 「これは!?」 絶叫が交錯した。 「まさか、ウィルス!?」 異常を察知した折戸が懸命にキーボードを叩いたが、事態はすでに手遅れだった。 HDDの内容は全て消去され、ディスプレイは鮮血を連想させる深紅で塗りつぶされた。 「……どういうことだ?」 理解を越えた惨劇に、折戸は視線を虚ろにしながら、キーボードに置いた指を震わせている。 中上がウィルスを含ませていたのか? いや、そんなはずはない。 あいつが下川たちに協力するはずがない。 ならばいったい……? 同時刻、リーフに出勤した中上を迎えたのは、鋭い眼光で彼を睨みつける高橋だった。 「中上、下川が執務室で待ってるぞ」 高橋の射抜くような視線に、中上は思わず目を伏せ、冷や汗をにじませた。 形をとどめない不安が胸を満たしてゆくのを、中上は確かに感じた。 そしてそれは的中した。 「俺の言いたい事は分かってるはずだ」 「なんのことかな」 下川の尋問に、中上はできる限り平静を装って答えた。 下川の表情は、憤怒とも嘲笑ともとれる微妙なもので、 彼の心を読むことを困難にしている。 「倉庫にしまっておいた例のCD−Rが、領収書と共になくなった。 お前が持ち出したことは分かってる。素直に吐け」 CD−Rの持ち出しは完璧だった。 誰にも気付かれてはいない。 かまをかけようとしているだけだ。 中上は自分にそう言い聞かせ、下川を睨み返した。 「なんのことだがサッパリ。最近の専務のお考えは理解に苦しみますな」 「お前が折戸と会っていたことも調べがついてる」 ……これもはったりだ。 落ち着け、下川のペースに乗せられるな。 滑り落ちる冷や汗を背中に感じながら、中上は、乱れそうになる呼吸を必死に整えた。 「そんなに俺を裏切り者扱いしたいのか? リーフのために身を削って働いてきたこの俺を」 「……あのCD−Rにはウィルスしか入ってないぞ」 「!?」 中上は、突きつけられた衝撃を隠しきれなかった。 「こうなるだろうと思ってな、あらかじめ中身をすり替えておいたのだ。 今ごろkeyは大騒ぎだろうな」 驚愕に打ち震える中上をあざ笑うように、下川は口元の両端を吊り上げた。 「残念だよ、中上。お前の才能は買っていたのにな。こんな形でお別れになるとは」 下川は、ゆったりとした動きで、黒光りする物体をスーツのポケットから取り出す。 それは、中上の見間違いでなければ、日本で一般人が手にできるものではなかった。 「その様子だと、本物を見るのは初めてだな。 これはベレッタと言ってな、あるルートから手に入れた代物だ。 せいぜい苦しまないように祈るんだな」 下川はセーフティを解除すると、スライドを引き、薬室に弾丸を送り込んだ。 消音器を備えた銃の断面を中上に向け、グリップを握る右手に左手を添える。 「あばよ、中上」 陳腐な別れの言葉を告げると、下川は人差し指に力を込め、トリガーを絞った。 乾いた音が、執務室に響き渡った。 鮮血が宙に踊り、床に敷き詰められた絨毯を赤く染め上げる。 中上が、鈍い絶叫を上げながら前のめりに倒れた。 胸部に開いた小さな穴から、生き血が滝のように溢れ出し、 中上の意識を奪い去ってゆく。 意識と現実を繋いでいた五感が、徐々に失われてゆく。 指先が冷たい。 心臓の脈動が弱々しい。 見えていたものが見えなくなり、聴こえていたものが聴こえない。 深遠なる闇の底で、死神が薄く笑いながら手をこまねいている。 ……これが、死という感覚なのか? すまない、折戸。 最後の最後で足を引っ張ってしまって。 償いにもならないだろうが、 下川の野郎が早く逝っちまうよう、閻魔様に直訴してみるつもりだ。 もし、生まれ変わって出会う機会があったら、好きなだけ俺を殴ってくれ。 本当にすまない。 だけど、これだけは信じてくれ。 俺は、誰よりもお前のことが好きだった。 情熱を燃えたぎらせた瞳、何者にも屈しない勇気、 成功に向けた日々の努力、そのどれもが俺を魅了してやまなかった。 できることなら、もう一度、お前と仕事をしたかった。 すまない、折戸……。次を読む
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