デジフェス当日から一週間ほど、鍵掲示板は荒れに荒れた。 徹夜組を糾弾し、再販を求めるカキコが、決壊したダムの水のごとく流れてゆく。 「keyさんに要望があるなら、メールを送りましょう」 一部の者はそう注意したが、焼け石に水であった。 急増する負荷に耐え切れなくなったのか、サーバーもダウンした。 掲示板が落ち着いてもなお、再販を要求するメールは後を絶たなかった。 後世の歴史家は、これを、鍵っ子を象徴する事件として記すことになる。 keyの面々が高橋と下川の暴挙を鼻で笑っていられたのは、 騒ぎはすぐに沈静化すると踏んでいたからだ。 しかし、徹夜組への糾弾は、やがて鍵っ子同士の罵倒合戦に代わり、 核分裂反応さながらに暴動は拡大していったのだ。 常軌を逸した苦情に対応したのは、サイトの管理を担当する折戸である。 寝食を惜しんで掲示板に目を光らせ、五分ごとに送られてくる「チェーンメール」を処理した。 物理的な要因――睡眠や食事の不足――よりも、精神的なものが大きかったのであろう。 折戸は日を追うごとにやつれてゆき、今にも過労で倒れそうになっていた。 「無理をしないで休め」 麻枝が休息をとるよう勧めたが、折戸は頑として拒んだ。 「今ここで俺が休んだら、鍵っ子は確実に暴走する。それだけは食い止めるんだ」 必死の形相でディスプレイを睨み、折戸は暴動の鎮圧に努めた。 尋常ならざるカキコが鍵掲示板を飛び交うなか、青紫は、事の次第を高橋と下川に報告していた。 「……というわけで、機動隊に襲い掛かった鍵っ子は逮捕されました」 報告を聞き終えた二人は、満足そうな笑みをたたえた。 高橋が賛辞を送る。 「これでkeyが受けたダメージは計り知れないものがある。よくやった」 青紫は軽く頭を下げ、専務に視線を転じる。 「下川さん、昇進と新作の件ですが……」 「おう、実はもうその用意が出来てる。 明日付けでお前は開発部の次長に昇進だ。新作のシナリオも書かせてやる」 次長……なんていい響きだ。 お荷物と言われて久しいが、それは僕に自由な手腕を振るうだけの権限がなかったからだ。 次長になれば、いろんな所に口出しできる。 笑っていられるのも今のうちだ。 必ず、僕を馬鹿にした奴らを見返してやる。 ……青紫の涙腺から、感涙が溢れた。 「そんなことで泣くなよ、大げさだな」 高橋が肩に手をかけると、三人はどっと笑い声を上げた。 同時に、遠くから下川を呼ぶ声が聞こえた。 「下川さん、お客様です」 「すぐに行く。応接室にお通ししろ」 そう言って、下川がきびすを返そうとすると、 「誰だ?」 高橋が首をかしげた。 下川は口元に笑みを浮かべ、答える。 「key殲滅作戦をより完璧なものにするための協力者さ」 「お待たせしました」 リーフの専務は応接室のドアをくぐると、緑茶をすすりながら待っていた男に、深々と頭を下げた。 軽く握手を交わし、テーブルを挟む形でソファに腰を下ろす。 下川を訪ねてきた男は、13cmの使者である。 ビジュアルアーツ内には、特別ともいえるkeyの待遇に不満を抱く者が、少なからず存在する。 その反keyの筆頭といえるのが13cmである。 「デジフェスの件は見事でした。正直に言いますと、あそこまでうまくいくとは思っていませんでした」 感謝の眼差しを向けながら、使者は口を開いた。 「私は高橋とプランを立てたに過ぎません。青紫が現場をまとめてくれたおかげです」 下川は謙虚に応じ、気になっていたことを問いただした。 「それで、keyの反応は?」 「彼らはクレームの対応に追われ、しばらくは新作に着手する余裕などないようです」 「……ふむ」 「webを管理する折戸は過労で倒れる寸前です。 何かきっかけがあれば、彼をかろうじて繋ぎとめている糸は切れるでしょう」 「そうか……折戸め、いい気味だ……」 下川は、裏切り者を許さない。 神聖にして不可侵であるリーフ帝国の厚い恩寵を忘れ、 目先の利益を求めてkeyの設立に加わるとは。 「信義にそむき、臣民としての道を踏み外した者よ、神罰が下る日は近いぞ」 下川は執務室に戻ると、電話に手をかけ、「血の宴」事件の功労者たちを呼びつけた。 デジフェスで痛手を被ったkeyに、さらなる一撃を加えるために……。 一時間後、60名ほどの男が大広間に集められた。 彼らはリーフ・ファンクラブの会員で、リーフのためには命も惜しまないと公言している。 「まずは礼を言おう。デジフェスの件はご苦労だった」 下川は、ひとりひとりと握手を交わし、臣民を褒め称えた。 彼ら全員を見渡せる位置まで下がると、下川は勅命を下した。 「昨日の今日で誠に申し訳ないが、君たちに新たな使命を与える」 下川は、デジフェスの件と並行する形で、もうひとつのプランを練っていた。 それは、keyを再起不能に追い込み、 リーフの輝かしい栄光を取り戻すための、用意周到な計画である。 臣民の前に、ダンボールが並べられた。 「これが何か分かるか?」 白銀の円盤が、茶色い箱に詰め込まれていた。 ざわめきが、静かに沸き起こる。 「そう、KANONを焼いたCD−Rだ」 ざわめきを静めるように、下川はせき払いをする。 「諸君、この戦いは邪教keyに対する正義の戦いである。 鍵っ子と呼ばれるカルトを生み出し、エロを軽視する風潮を蔓延させたkeyを許してはならない。 あまつさえ、我らがリーフ帝国に変わって世界を支配しようとさえしている。 我々は、彼らの横暴に立ち向かい、リーフ帝国の正当な地位を脅かす輩を打倒せねばならない。 天をも焦がす情熱をもって、戦おうではないか。正義と真理を守るために」 下川は、腕を水平に伸ばし、人差し指を臣民の群れに向けた。 「諸君に命じる! このCD−Rを友人・知人にばらまき、keyを混乱に陥れるのだ! 全ては我らがリーフ帝国の永続と栄光のため! さあ、恩義と忠誠を知る者たちよ、勇気を奮い立たせ、帝国に仇をなす邪教keyを打ち砕くのだ!」 リーフ信者は高らかに叫ぶ。 「ジーク・リーフ!」次を読む
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