満天の星をたたえた夜空が白み始めた頃、 デジフェス会場の付近の駅は、いつになく活気に満ちていた。 徹夜禁止令を忠実に守る参加者が、朝一番の列車で到着したのだ。 そのうちの何人かは、鍵っ子と称される者である。 彼らはKANONに想いをはせながら、会場までの道のりを、肩を並べて歩いた。 足取りは軽く、胸は期待に満ちている。 しかし、会場に辿り着いた鍵っ子を迎えたのは、歓喜ではなく、失望と怒りであった。 朝一番の列車の彼らよりも早く、入り口に向かって列をなす人の群れがあったのだ。 慌てた鍵っ子たちは、列の最後尾に駆け寄り、事情を問いただした。 ――徹夜。 返答は、予期していた、しかし違っていて欲しいと願った通りのものであった。 鍵っ子は沸き上がる義憤のままに、徹夜組を糾弾する。 「どうしてルールを守れないんだ。近所の人に迷惑がかかるだろ」 「君たちの勝手な行動のせいでデジフェスが中止になったどうするんだ」 激しい剣幕で責めたてるが、徹夜組は非を認めようとはしない。 むしろ、徹夜は当然といった態度である。 「君たちの言う通り、徹夜はしちゃいけない。俺たちだって昔はルールを守ってた。 だけど、他の心無い連中が徹夜をするから、俺たちも仕方なくするんだ。 文句があるならそいつらに言えよ」 徹夜組の開き直りに辟易した鍵っ子は、非難の矛先を警備員に向けた。 しかし、警備員は官僚的な答弁の繰り返しに終始し、事態の収拾を図ろうとはしない。 これ以上の追求は無意味と判断し、鍵っ子は列の最後尾に渋々と回った。 地平線の彼方から姿をのぞかせていた太陽が、 完全にその姿をあらわし、天球上を昇り始めた。 闇は白い光に塗りつぶされ、世界が音を取り戻す。 デジフェス会場の周辺は、人の波で埋め尽くされていた。 事情を知らない通行人が、みけんにしわを寄せながら歩き去ってゆく。 時刻は午後9時52分。 開場まで残り時間10分を切っている。 朝一番の列車で駆けつけ、列の中ほどに並ぶ鍵っ子は、開場を心待ちにしていた。 徹夜組の横暴に腹を立てていた彼らではあったが、 マキシシングルは千枚用意されているうえ、一人五枚までと知り、安堵したのだ。 列の中央とはいえ、この人数ならなんとか入手できそうだったからである。 時計台の長針が12の位置を指した。 会場へ至る門が開かれ、歓声と共に参加者がなだれ込む。 「来たよ、みんな。気合を入れて」 CDとテレカの販売を取り仕切る久弥が、他の売り子を叱咤した。 (人ごみとイベントが嫌いな麻枝は、 その時、自宅で「ハイパードールりかちゃん」を鑑賞していた……) 第一陣が、激しく息をつきながら、keyのブースに駆け込んできた。 CDを限度である五枚まで買い込むと、彼らは、別のブースに移る――かに思われたが、 その巨体をひるがえし、なんとkeyブースへ連なる列の最後尾に回ったのだ。 久弥らは、目前に迫る他の購入希望者の対応に追われ、彼らの不正にまでは目が届かない。 巨体を揺らす男たちは、まんまと二度目の購入に成功し、 それはCDが売り尽くされるまで繰り返された。 持参したリュックいっぱいにCDを詰め込み、 脱兎の勢いで会場から走り去ると、彼らは近くのコンビニに向かって駆け出す。 そこには、この作戦の指揮者である男が待っていた。 「よくやった」 青紫は、息を切らす「実行部隊」の労をねぎらう。 「今のうちに休んでおけ、これからが本番なんだ」 不適な笑みを浮かべ、青紫は会場を見やった……。 「マキシシングルは売り切れました」 会場の外で入場を待っていた鍵っ子の視界に、 信じがたいものが飛び込んできたのは、開場から十分ほど経ってからのことである。 マキシシングルは売り切れた……プラカードには、たしかにそう書かれていた。 なぜ? 千枚も用意されてるうえに、一人五枚までという制限があったのではないのか? 朝一番の列車で到着し、胸を躍らせていた、百人にものぼる鍵っ子は、 みな一様に頭を抱え、両膝を折る。 一方、会場の内側では、目前でCDを買い損ねた鍵っ子が、keyのスタッフを取り囲んでいた。 「ですから、すでに売り切れてしまって……」 興奮さめやらぬファンを逆上させぬよう、久弥は言葉を選びながら諭した。 「再販する予定はあるんですか?」 「いえ、そういう予定はありません」 「そんな、keyさんでしょ? 願えば奇跡は起こるんじゃないですか!?」 「ですから……」 「こんなに沢山の人たちが買えなかったんですよ、keyさんは奇跡を起こすべきです!」 怒号ともとれる賛同の声が、一斉に沸き起こる。 拒めば襲われかねないと判断した久弥は、再販を検討すると約束し、会場をあとにした。 再販の検討を取り付けた鍵っ子は、会場の外で、 入場さえ出来なかった同志たちと、互いに愚痴をこぼしていた。 噂によると、徹夜組の一部がCDを買い占めたらしい。 「何様なんだ、あいつらは」 「みんなの楽しみを奪うなんて、絶対に許せない」 治まらない怒りが、言葉となって交錯する。 なんのために、わざわざ早起きしたのか。 今日という日を、何週間も前から楽しみにしていたのに。 思い起こすたびに、悔しさがこみ上げ、涙がこぼれそうになる。 「KANONのマキシシングル、一枚五千円から」 悲嘆にくれる鍵っ子たちは、耳を疑った。 声がした方向に視線を転じると、彼らの怒りは臨界点を超え、爆発した。 CDを買い占めたと思われる連中が、白昼堂々と転売していたのだ。 声を荒げながら、鍵っ子は彼らに詰め寄る。 「おい、君たち、もしかして徹夜組じゃないか!?」 問われた男たちは、怒りをあらわにした鍵っ子を嘲笑するように答える。 「そうだけど、それがなにか?」 挑発的な態度に、鍵っ子はさらに怒気を強める。 「それじゃあ、CDを買い占めたのも君たちなのか!?」 一呼吸をおき、徹夜組――青紫の指揮する実行部隊――は、唇に指をあて、軽い笑い声をあげる。 実行部隊たる彼らは、鍵っ子を出来るだけ挑発するよう、青紫に命じられていたのだ。 「文句ある?」 その一言が、導火線に火をつけた。 怒りに顔を歪めた鍵っ子の一人が、実行部隊を拳で殴りつけたのだ。 他の鍵っ子たちは、一瞬だけ沈黙したが、 待ってましたとばかりに、実行部隊は反撃に出た。 殴りつけた鍵っ子は、実行部隊の蹴りをわき腹に食らい、吹き飛ばされた。 それが、会戦の合図となった。 理性を失った鍵っ子たちは、一斉に憎むべき敵に踊りかかる。 遠くからその様子を眺めていた青紫が、側に控えさせていた男たちに出撃を命じた。 「行け! できるだけ騒ぎを大きくしろ!」 「はい! 全ては我らがリーフ帝国の為に!」 ――実行部隊とは、リーフ・ファンクラブから有志を募った義勇軍であった! 「死ねやぁ! 鍵っ子!」 振り下ろされた木材が鍵っ子の頭を砕き、血飛沫が踊る。 木材は真っ二つに割れ、回転しながら宙を舞う。 鍵っ子は、突然の乱入者に困惑したが、すぐに反撃を開始した。 重いパンチが怨敵のみぞおちを捕らえ、胃の内容物が撒き散らされる。 片膝をついたところへ、自慢の巨体を活かしたボディプレス。 左右の肺を満たしていた空気が、一気に押し出される。 しかしその鍵っ子も、脳天を直撃したカカト落しに白目をむいた。 一時は劣勢に立たされた青紫軍だが、すぐに巻き返した。 互いの背中を合わせ、正面と左右から襲いかかる鍵っ子を、持参した鉄パイプで殴り倒す。 鈍く低い悲鳴をあげ、鍵っ子は足元に崩れ落ちる。 生き血が鉄パイプの先からしたたり、アスファルトに赤い海を広げてゆく。 鍵っ子も、奪い取った鉄パイプで青紫軍を血の海に沈めてゆく。 血で血を洗うその惨状は、「血の宴」と題するに相応しいものであった。 誰かが通報したのだろう、響き渡る絶叫に、パトカーのサイレンが重なった。 「ここまでだな」 もう少し騒ぎを引き伸ばしたいところだが、捕まってしまっては元も子もない。 引くべきときに引くのが有能たる司令官というもの。 青紫は、実行部隊のイヤホンに撤退命令を発した。 指示を受けた青紫軍は後退し、鍵っ子と距離を取り始めた。 しかし、鍵っ子の動きは俊敏で、すぐにその距離を縮める。 「なにをしてる、早く戻れ」 青紫は焦った。 パトカーに先導された機動隊の車両から、物々しく武装した男達が飛び降りたのだ。 「突撃!」 機動隊長の号令と共に、屈強な男達が、血塗られた争いに割って入った。 青紫軍は脱出に専念したため、混乱に乗じて全員が逃げ延びた。 それとは反対に、怒りのやり場を失った鍵っ子は、目の前の機動隊に襲い掛かり、60名を越える逮捕者を出した。 デジフェス史上最悪の事件と呼ばれる「血の宴」事件は、こうして幕を閉じた。次を読む
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